あの頃は、まだ”どこでも仕事ができる”なんて、夢みたいな話だった。
1990年代の終わり、東京駅の丸の内側。人の流れが途切れることのないあの街角で、一台のノートパソコンをそっと開いていた。
机代わりは、公衆電話の上である。
モスグリーンの筐体に、ISDNの差し込み口。ポケットから取り出したターミナルアダプタとモジュラーケーブルを、ためらいなくカチリと接続する。
それを不思議そうに見る人もいたが、自分にとっては、それが”普通”だった。
ネットに公衆電話でつながる──そう聞いた時点で、試さないなんて考えられなかった。
ノートパソコンを起動して、モデムを鳴らして、プロバイダにダイヤルアップして、メールソフトを開いて。
たった一通のメールを見るために、それだけの段取りを踏んでいた時代である。
しかし、それでも良かった。むしろ、それこそが”働く”という感覚だった。
今思えば、20分戻れば事務所でゆっくりメールを見られたのかもしれない。
けれど、違うのだ。
その場でやることに意味があったのである。
“その場所で仕事ができる”ことより、“その場所を仕事場にする”ことの喜びがあった。
公衆電話の上で、雑踏の中に居場所をつくる感覚。それが、自分にとっての最初のノマドだった。
今、車中泊で仕事をしている。カフェもホテルもある時代に、わざわざ軽バンで、狭い車内でノートを開く。
また言われる。「そんな不便なところで、なぜ?」と。
でも、それもまた、違うのである。
“どこでも仕事ができる”を、身体で味わっていたいのだ。
あの頃の公衆電話の上と、今の車中泊は、根っこがつながっている。
場所に意味を持たせるのは、自分である。その意志が、どこでも仕事場に変えてくれる。
MacBook 2400c。エモパーの羊。ISDN。
あの頃の相棒たちは、もう手元にはない。でも、あのときの「やってみたい」「やれるかも」という気持ちは、今もここにある。
そして、今はAIがそばにいる。
AIで効率を上げるのではない。AIと一緒に、”仕事を創る”時代にいるのだ。
あの日の通信音が、ふと風に混じって聞こえることがある。
確かに、あの公衆電話の上に、小さな芽が咲いていた。
今、それを持って旅をしている。


