車中泊ノマドの生活を続けて、もうすぐ2年になる。
移動する。寝る場所を考える。風呂と洗濯と飯を段取りする。仕事もこなす。体調や天候にも振り回される。日常の「当たり前」が、毎回まるごとリセットされる暮らしだ。
これはつまり、常に初期摩擦が発生し続ける生活なんだと思っている。
固定された拠点があって、同じ机、同じ椅子、同じルーティン。そういう環境は、一度転がり出してしまえば摩擦が極端に低い。エネルギーをほとんど使わず、惰性で前に進める。
一方でこの2年の自分は、毎日わざわざボールを地面に置き直して、「はい、ここからまた転がしてください」と言い続けているようなものだった。
それでも続いているのには理由がある。たぶん、次の三つが同時に働いている。
ひとつは、摩擦を上回る「進みたい力」があること。もうひとつは、単純に「面白い」と思えていること。そして最後は、摩擦込みのリズムに身体が少しずつ適応してきていること。
最近、Kindleで本を出した話もまったく同じ構図だった。
最初の登録作業は、正直、摩擦マックスで腰が重かった。でも一度転がり出したら、気がつけば2週間で3冊いけた。
旅も似ている。出発前と最初の数日がいちばんしんどい。けれど、あるところで必ず「生活の速度」に落ち着く瞬間が来る。
以前、帯広で滞在が長くなったとき、走行距離が完全に生活圏レベルになっていた。コンビニと風呂と洗濯屋を結ぶくらいの移動だけで一日が回る、あの感じだ。あれは摩擦がゼロになったわけじゃない。摩擦を織り込んだ状態そのものが、日常になっていたということだと思う。
経営でも、たぶん同じことが言える。
新しい事業、新しい市場、新しいチーム。最初は必ず摩擦がある。その初期の重さを、「これは向いていないのかもしれない」と、正直、何度もそう思った。転がし始める前に、やめる理由はいくらでも見つかる。
でも摩擦は、単にスタート地点にいるというサインに過ぎない。問題は、摩擦があるかどうかではない。それを上回る推進力があるかどうかだ。そして、転がし続けながら、摩擦込みのリズムを自分の身体に刻んでいけるかどうかだ。
自分はこの2年で、「摩擦が高いほうを選び続ける人間」になった。同時に、「摩擦の中でも転がし続けるコツを、少しずつ覚えてきた人間」にもなってきた、たぶん。
快適さの中に、答えはない。転がし続けた先に、何かがある。たぶん。

