ドラマ仕立てのビジネスストーリーの制作【PR】

評価されていたはずの自分が、いつの間にか「ニコチン」になっていた話

FAFで窮地を脱した社長

FAF(Feel After Filter)という視点を持って見えたこと

しばらく前まで、自分は「動ける人」「助ける側」だと思っていた。

立ち上げ期のプロジェクト。
人が足りない現場。
判断が宙に浮いたタイミング。

そういう場面で、
「とりあえず自分がやるか」
と一歩前に出ることは、これまで何度もあった。

その場は回る。
空気も落ち着く。
感謝もされる。

今までは、それで問題になったことはなかった。


善意で動いたはずだった

止まっている時間が一番もったいない。
誰かが決めないと、前に進まない。

そう思って、本来の役割を少し越えて動く。

その瞬間だけを切り取れば、間違いなく「正解」だったと思う。

ただ、あとから振り返ると、自分はある判断をその場の感情のまま下していた。


FAF(Feel After Filter)という考え方

FAFは、
Filterを通したあとに、あらためて感じる
という考え方だ。

先に感じて、勢いで動くのではなく、一度フィルターを通す。

そのうえで、
それでもやりたいか。
それでも引き受けたいか。

もう一度、感じ直す。

当時の自分は、
Filterを通さず、
Feelingのまま動いていた。


フィルターを通して見えていなかったこと

もしあのとき、一度でもFilterを通せていたら、こんな問いが浮かんだはずだ。

これを自分が引き受けたら、役割はどう固定されるのか。

それを理解したうえでも、自分は本当に「やりたい」と感じるだろうか。


いつの間にか、前提になっていた

気づいたのは、ずっとあとだ。

自分がいると、場が落ち着く。
自分がいると、判断が早い。
自分がいると、問題が表に出にくい。

それは評価でもあったけど、同時に前提にもなっていた。

「あると助かる」

「いて当然」になり、
やがて
「いないとイライラする」に変わる。


ニコチンという比喩

ふと思った。

これは、ニコチンと同じやな、と。

吸うと落ち着く。
でも、体質は変わらない。
やめた瞬間に、禁断症状が出る。

自分がいることで、
体制が整うわけでもなく、
判断が育つわけでもなく、
ただ「落ち着いた気がする」状態が続く。

Filterを通さずに動いた結果、
自分は
安心感を供給する存在
になっていた。


誰かが悪い話ではない

これは、誰かの悪意の話じゃない。

依存は、個人の弱さから生まれるのではなく、判断が積み重なった構造から生まれる。

善意で埋めた空白が、そのまま役割として固まっていく。

評価されてきた強みが、Filterを通さなかったことで、静かに毒に変わる。


FAFがくれたのは、立ち止まる余白

FAF(Feel After Filter)が教えてくれたのは、動かない勇気ではない。

一拍置いて、もう一度感じる余白だった。

今は、「助けたい」「動きたい」と感じた瞬間に、一度Filterを通せる。

それでもなお、
「やりたい」と感じるならやる。
そうでないなら、引き受けない。

その違いは、あとから確実に効いてくる。


今はもう、
「俺、ニコチンになってたな」
と笑って言える。

失敗談というより、FAFという視点を手に入れた話やと思っている。

もしかしたら、あなたも気づかないうちに、「助ける側」が定位置になっているかもしれない。

そのときのために、この問いだけ置いておいてほしい。

これを自分が引き受けたら、誰の役割が固定されるのか。

それを理解したうえでも、それでもやりたいと感じるか。

一度Filterを通してから、あらためて感じてみる。

衝動ではなく、納得感で動くための小さな仕組みとして、FAFを使ってもらえたらうれしい。

Feel After Filter。

それだけで、
見える景色は確実に変わる。

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