「上の階の足音がうるさい」 「隣の話し声が聞こえる」 「夜中の洗濯機の音が許せない」
現代のマンション騒音トラブルは、もはや社会問題である。 警察沙汰、裁判、最悪の場合は殺傷事件にまで発展している。
しかし、ここで立ち止まって考えてみたい。
江戸時代の長屋は、壁は薄く、隙間だらけで、音は全て筒抜けだった。 現代マンションの比ではないほど「音ダダ漏れ環境」だったにもかかわらず、 騒音トラブルの記録がほとんど存在しない。
なぜか?
この違いは、実はビジネスにも人間関係にも応用できる本質的な問題を含んでいる。
1. 江戸の長屋 vs 現代マンション―スペック比較
項目江戸の長屋現代マンション壁の厚さ数センチの板壁コンクリート15〜20cm防音性能ほぼゼロ一定の基準あり生活音咳・寝息まで聞こえる足音・話し声が問題に住人同士の距離顔見知り・助け合い前提ほぼ他人・関わらないトラブル件数記録上ほぼなし年々増加中
物理的には圧倒的に現代マンションの方が防音性能は高い。 それなのに、トラブルは現代の方が圧倒的に多い。
つまり、これは「音の大きさ」の問題ではないのだ。
2. 江戸の長屋が平和だった3つの理由
理由1:「音がする=生きている証拠」という認識
江戸の人々にとって、隣から音がするのは「安心材料」だった。
・朝に味噌汁の匂い → ああ、今日も元気だな ・夜に咳の音 → 少し風邪気味か? ・子どもの泣き声 → 賑やかで良いことだ
音は「コミュニティの生存確認システム」として機能していた。
逆に静かすぎる方が心配された。 「もしかして死んでいるのでは?」「病気では?」と大家が見に来るレベルである。
現代マンションではどうか? 隣が3日不在でも気づかない。 孤独死が発見されるのは異臭が出てからだ。
音への意味づけが真逆なのである。
理由2:「聞こえても聞いていないふり」が文化
江戸には「野暮」という強力な社会規範があった。
夫婦喧嘩の声が聞こえても、夜の営みの声が聞こえても、 「聞いていない体で通す」のがマナーだった。
翌朝、井戸端で顔を合わせても、誰も触れない。 これを「粋」という。
逆に「昨日の夜、聞こえましたよ」などと言えば、 それこそ「野暮天」「下品」として軽蔑された。
つまり、 物理的に聞こえることと、それを問題にすることは別 という合意が成立していたわけだ。
現代マンションではどうか? 「聞こえた=被害を受けた=謝罪しろ」が前提である。 録音して管理会社にクレーム、匿名の手紙を投函、ネットに晒す。
聞こえることが即トラブル化する構造なのだ。
理由3:「大家」という調停者の存在
江戸の長屋には「大家」がいた。 これは現代でいう管理会社+自治会長+カウンセラーを兼ねた存在である。
トラブルが起きそうになれば、 大家が「まあまあ」と仲裁に入る。
・顔が見える ・関係性がある ・逃げられない
この3点セットが、問題を大事にしない仕組みを作っていた。
現代マンションではどうか? 管理会社は「契約上の業務」しか行わない。 住人同士は顔も知らない。 クレームは匿名の紙切れである。
人間関係がゼロだから、音だけが肥大化して問題になる。
3. 現代マンション騒音トラブルの本質
ここまで読めば理解できるだろう。 現代の騒音問題は「音の問題」ではない。
本質は3つある。
①「関係性ゼロ」問題
隣に誰が住んでいるか知らない。 顔も知らない。 挨拶もしない。
そんな「匿名の他人」が出す音だから、 すべてが「侵害」に聞こえる。
もしその音が、 毎朝挨拶してくれる優しい老婦人の足音だったら? いつも笑顔で会釈してくれる若夫婦の赤ちゃんの泣き声だったら?
許容度は変わるはずだ。
②「権利意識の肥大化」
「私は金を払っているのだから、静かに暮らす権利がある」 「私のプライバシーを侵害するな」
この意識が強すぎて、 他人の生活音を「権利侵害」と認識してしまう。
江戸の人々にとって、 音は「侵害」ではなく「日常」だった。
③「調停者不在」
管理会社は「中立」を理由に動かない。 自治会は機能していない。 警察は民事不介入である。
つまり、 誰も間に入ってくれないから、当事者同士で対立が先鋭化する。
4. ビジネスに置き換えたら?
私はこの構造が、会社組織にもそのまま当てはまると考えている。
パターンA:「江戸型組織」
・経営者と社員が近い ・飲みにも行く、雑談もする ・多少のミスは「まあまあ」で流れる ・トラブルが起きても、経営者が仲裁に入る
→ 小さな不満は表面化しない
パターンB:「現代マンション型組織」
・上司と部下が他人 ・業務連絡のみ、雑談ゼロ ・ミスは即ハラスメント認定 ・人事部は「中立」を理由に動かない
→ 小さな不満が蓄積して、ある日爆発
どちらが健全かは一目瞭然だろう。
5. では、どうすればよいのか?
私が考える解決策は3つである。
①「顔の見える関係」を作る
引っ越してきたら挨拶する。 エレベーターで会ったら会釈する。 ゴミ出しで顔を合わせたら「おはようございます」。
たったこれだけで、 相手は「匿名の敵」から「顔見知り」に変わる。
②「聞こえることを前提にする」
完全な防音など、金をかけても不可能である。 「聞こえる」を前提に、 「お互い様」の意識を持つ。
自分も音を出しているし、相手も出している。 それが集合住宅というものだ。
③「調停者を作る」
管理組合でも自治会でもよいから、 「間に入ってくれる人」を機能させる。
匿名クレームではなく、 「少し話し合いましょう」で解決できる場を作る。
まとめ:騒音問題は「音」ではなく「人間関係」の問題である
江戸の長屋が平和だったのは、 防音性能が高かったからではない。
「人間関係があったから」である。
現代マンションが地獄なのは、 音が大きいからではない。
「人間関係がゼロだから」である。
ビジネスも、家庭も、地域も、全て同じだ。
私が30年以上続けてきた「小規模企業経営」も、 結局は「顔の見える関係」を大事にしてきたからこそ、 トラブルが少なく、長く続いているのではないだろうか。
江戸の長屋に学ぶべきは、 「音を消す技術」ではなく、「人と生きる知恵」である。

