なぜ経営者が教育を語るのか
私は教育の専門家ではない。教育委員会の人間でもなければ、学校の教員でもない。
零細企業の経営者だ。だからこそ、人の成長に関わる教育に強い関心を持たざるを得ない。
それでも教育について語りたい。いや、語らなければならないと思っている。
常々感じていた違和感
正直に言うと、教育について深く考え始めたのは最近だ。
ただ、以前から漠然と感じていたことがある。
「日本の教育、アップデートされてないな」と。
教科ごとに分断された学び。正解を求める思考。テストのための暗記。昭和の時代から変わっていない構造。
でも、それを「どう変えるべきか」までは考えていなかった。
それはただの違和感にすぎなかった。
発芽ブログから生まれた気づき
転機は「発芽ブログ」という手法を考えたときだ。
一つのテーマを、国語・算数・理科・社会という4教科の切り口で見る。するとアイデアが芽吹くように広がっていく。
「これだ」と思った。
この考え方を教育に応用すれば、教科の壁を越えた学びができるんじゃないか。
そこから「発芽カリキュラム」という構想が生まれた。
一つのテーマを複数教科で統合的に学ぶ手法だ。
この発想をさらに掘り下げた内容は、別の記事にまとめているのでぜひ読んでほしい。
(詳しくは → 発芽カリキュラム〜日本型STEAMの可能性〜)
薄い動機から始まった違和感が、具体的な提言になった瞬間だった。
零細企業の経営者だから見える景色
うちには新卒社員はいない。でも、仕事を依頼する相手はいる。フリーランス、パートナー企業、外部の専門家。
彼らと仕事をしていて気づく。
- 指示待ちではなく、自分で考えて動ける人
- 一つの専門だけでなく、横断的に理解できる人
- 問題を発見し、解決策を提案できる人
こういう人は意外に少ない。
そして、これは個人の能力の問題ではなく、教育や環境の問題なのではないかと考えている。
零細企業だからこそ、一人ひとりの能力が会社の命運を左右する。
だからこそ、教育の在り方を真剣に考える必要がある。
外部の人間だから言えること
「私が教育を語るのは専門外なのに何がわかる?」と言われるかもしれない。
でも、外部の人間だからこそ見える景色がある。
教育現場の人は日々の業務に追われ、外からの視点を持ちにくい。行政は制度や前例との整合性を重視せざるを得ない立場にある。
さらに言えば、教育現場では「学びの成果」を数値化しにくい。
しかし企業は、常に成果と改善を突きつけられる。
だからこそビジネスの現場から見ると、教育の課題が浮き彫りになる。
これから提言していくこと
このブログでは、これから教育について発信していく。
- 評価制度の問題
- ICT活用の遅れ
- 教科の縦割り構造
- 企業と教育のギャップ
専門家ではないからこそ、忖度なく言えることがある。
次世代のために、今変えるべきことがある。
経営者として、親として、社会の一員として。
私はこれからも「発芽カリキュラム」を軸に、教育について語り続ける。
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発芽カリキュラムの詳細については、こちらの記事をご覧ください。

