—— 理想と現実の狭間で模索する企業たち
「SNS運用がもう限界です」
先日、ある製造業の経営者仲間からこんな相談を受けた。毎日の投稿、コメント返信、トレンド追従。気づけば本業より多くの人的リソースを割いている。それでいて売上への直接的な貢献は見えにくい。
こうした「デジタル疲れ」を背景に、最近興味深い動きが見え始めている。一部の企業が「ホームページの原点回帰」とでも呼ぶべき方向性を模索しているのだ。果たしてこれは一時的な揺り戻しなのか、それとも新しい潮流の始まりなのか。
90年代の残響:「丁寧さ」への憧憬
思い返せば90年代後半のホームページには、今とは全く違う空気感があった。企業サイト制作は一大プロジェクトで、数百万円の予算と数ヶ月の期間をかけて作り上げていた。更新には専門知識が必要で、情報は厳選されていた。
当時の企業担当者は、Yahoo!ディレクトリへの登録審査に一喜一憂し、リンク交換の依頼メールを丁寧に書いていた。アクセス数は今から見れば微々たるものだったが、一人ひとりの訪問者を大切にする姿勢があった。
現在、一部の経営者がこの時代に言及するとき、そこには明らかな憧憬がある。「あの頃の方が、お客様との関係が深かった」という声を聞くこともある。
音楽業界に見る構造変化の先行事例
この変化を理解するために、音楽業界の動向は参考になる。
CD全盛期、ミュージシャンの収益モデルは明確だった。レコード会社との契約、大量生産・流通、印税収入。しかしデジタル配信の普及でこのモデルは崩壊した。
現在、多くのアーティストが採用しているのは「ファン直結モデル」だ。ライブ活動、限定グッズ、ファンクラブ、クラウドファンディング。これらはすべて、少数のコアファンとの直接的な関係に依存している。
興味深いのは、この変化を「原点回帰」と表現するミュージシャンが多いことだ。大手レコード会社による大量流通以前、音楽家は地域のパトロンや小さなコミュニティに支えられていた。デジタル時代の到来で、その構造が復活しているとも解釈できる。
企業に見え始めた同様の兆候
最近、企業の間でも似たような動きが散見される。
大量アクセス追求からの離脱
月間数十万PVを誇っていた企業ブログを敢えて縮小し、代わりに月数千PVでも「濃い読者」との関係構築に注力する企業が現れている。
有料会員制への実験
無料での情報提供を一部制限し、月額数千円の会員向けに限定コンテンツを提供する試みが増えている。ただし、これが成功している事例はまだ限定的だ。
メール配信の再評価
古い手法」として敬遠されがちだったメールマガジンを、「確実に届く情報伝達手段」として見直す動きもある。
現実に立ちはだかる課題
しかし、この「原点回帰」には明らかな課題も存在する。
収益性の壁
音楽業界で言えば、Spotifyで10万回再生されても収益は数千円程度。一方、1000人のファンが年間1万円ずつ支援してくれれば年収1000万円だ。理論的には後者の方が効率的だが、「年間1万円を払ってくれるファン1000人」を獲得するのは想像以上に困難だ。
規模の経済との矛盾
多くの企業は規模拡大を前提とした事業モデルを構築している。「少数の濃い顧客」戦略は、こうした従来の成長モデルと根本的に矛盾する場合がある。
初期投資の問題
コミュニティ型のビジネスモデルが機能するには、まず一定の知名度や専門性が必要だ。しかし、それらを獲得するためには結局、従来型のマーケティング手法に頼らざるを得ない場合が多い。
業界・企業規模による温度差
この「原点回帰」への関心にも、明らかな偏りがある。
積極的な業界
- コンサルティング、士業
- クリエイティブ系(デザイン、映像制作等)
- ニッチなBtoB製造業
慎重な業界
- 大手メーカー
- 小売・流通業
- 新興テック企業
前者は「専門性を軸とした関係構築」がしやすく、後者は「規模の経済」から離れることのリスクが大きい。当然の差異と言える。
理想と現実の狭間で
現在観察できるのは、明確な潮流というより「模索状態」だ。
デジタルマーケティングの工数負担に疲弊した企業が、別のアプローチを試行錯誤している段階。成功事例も散見されるが、万能解には程遠い。多くの企業が理想と現実のギャップに直面しながら、手探りで進んでいる。
興味深いのは、この動きが単なるノスタルジーではなく、現実的な課題への対応として生まれていることだ。
SNS疲れ、コンテンツ制作負担、プラットフォーム依存リスク。これらの課題が顕在化したからこそ、90年代的な「丁寧さ」や「直接関係」が再評価されている。
変化の兆しとして
この「原点回帰」が今後主流になるかは未知数だ。しかし少なくとも、デジタルマーケティングの在り方を見直すきっかけにはなっている。
大量アクセス至上主義から、質の高い関係性重視へ。拡散型コンテンツから、蓄積型コンテンツへ。プラットフォーム依存から、自社メディア強化へ。
これらの変化は確実に起きている。ただし、それが企業の収益性向上に直結するかは別問題だ。
時代の変化を読み取りながら、自社に適した戦略を見極める。結局のところ、それが経営者に求められている姿勢なのかもしれない。変化の兆しを見逃さず、しかし理想に溺れることなく。現実的な判断を下し続けることが、今この時代に必要なのだろう。
私自身の決断
ウチは結局、SNSの投稿を減らし、本当に必要と感じるときにだけ発信するようにした。
その代わり、ホームページのブログを週2本、本気で書くことにした。
最初の3ヶ月は正直不安だった。「SNSやめたら忘れられるんじゃないか」と。
でも半年経った今、面白い変化が起きている。既存のお客さんから「ブログ読みました。そんなこともできるんですか?」という相談が増えたのだ。
今まで知られていなかった自社の技術や知見が、ブログを通じて既存顧客に再発見されている。新規開拓より、既存顧客の深堀りという思わぬ効果だった。
これが正解かは分からない。でも少なくとも、今のウチには合ってる。

